制作年

平成3年(1991)頃 P20号 726×532 日本画 紙本着彩 金箔 額装

1991年寄贈  校長室展示

作品について

大森画伯は、昭和59年(1984)頃から伊奈谷に継承される人形浄瑠璃の取材を重ね、時代を経て人間の業を繰り返し演じ続けてきた「浄瑠璃人形」というテーマを探求する。本作品は長野県飯田市龍江の「今田人形」(選択無形民俗文化財)の、八百屋お七が火の見櫓を登って半鐘を打つ「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひかのこ)」の演目で使用する「お七」を描いた連作の一つである。

創立90周年記念式典行事「ひがしギャラリー」(1991.10.6~12)於:本校会議室(旧本館2階)出品。本作品は90周年記念式典の記念品として複製され配布された。

作者について

大森 運夫(おおもり かずお) 
二中5回(昭和10年3月卒) 大正6年(1917)~平成28年(2016)

1917年9月23日、豊川市三上町生まれ。2016年9月29日逝去、99歳の長寿を全うした。二中5回。広島高等師範学校中退、戦後豊橋で教職に就く傍ら中村正義との出会いによって独学で日本画を学びはじめ、画家を志す。1951年新制作展及び日展に初入選を果たすと以後新制作展に入選を重ね、骨太い筆致で風景や人物を描いた。1962年、46歳の時に豊橋市立中部中学校勤務を最後に上京、川崎市の中村正活する労務者らの姿であったが、対象が九十九里浜のたくましい漁民たちの姿に移し、さらに1966年の欧州旅行で目にしたロマネスク彫刻にも啓発された作品を生み出した。やがて描く対象を自国の伝統芸能や祭りへと移し、伝統を支える民衆の力を主題とした勇壮で躍動感あふれる祭りシリーズがはじまる。1977年からは東北地方の土着の風俗に身を包んだ「おばこ」に着目し、画風は動的な表現から静的な写実描写へと変遷を遂げた。1984年からは人の生き様を写しとったかのような浄瑠璃人形を主題に描き、幻想性ある世界をつくりあげる。また形状をとどめない破損仏にも取り組み、バブル崩壊後は現代に生き彷徨する若者たちの姿を対象とし、晩年は中央アジアの風景のほか、かつて手掛けたロマネスク彫刻やモロッコの情景等を再び取り上げ意欲的な活動をつづけた。。

愛知県立芸術大学講師、創画会会員、全国各地で個展を開催。80歳を過ぎてからロマネスク美術取材にヨーロッパ旅行、99年9月豊橋ふるさと大使。