制作年

不明(大正時代) 945×410 絹本 軸装

作品について

豊橋市立高等女学校校歌

夜昼やまぬ豊川の水の流れに千代かけ

てただ一筋に勤倹の教えを我等が法とせん立ちて

動かぬ石巻の山の緑の万代に百折不撓の名を得たる土地

の美徳を養わん国には至仁の君いまし家には慈愛の親います

忠孝二つの師の教守りて尽くすぞわがつとめ歴史けがれぬ三州

の婦女は婦女たる道ふみてわが学校の栄辱を心に

忘れじもろともに

                 二条基弘書

校歌のこころ(「校友五十三号」:高女創立30周年記念号・昭和7年9月発行)より

節約勤にして、而して其の思想は高雅なり、自重謙譲にして而して其の意志は鞏固(きょうこ)たり、我が国体の特色とする忠孝一致精神に基き、三河武士道の本義に省みて、大に修養する所あらしめん事を期したるものにして、本校訓育の大意を宿写せるものなり。

校歌の作詞は 大和田 建樹。作曲者は残念ながら分かっていない。作詞をした大和田建樹は、愛媛県宇和島出身の国文学者で、東京大学の講師を勤めた人である。全国各学校の校歌を多く手がけたほか、「鉄道唱歌」の作詞者として有名であった。明治という時代の女子教育のありようを、実に見事に示す校歌であった。(「校史ひがし」より抜粋)

軸に「校歌 二条公爵書 豊橋市立高等女学校 校友會所蔵」とあり「書画部 NO第一号・・・」のラベルが添付されている。また、そのラベルに、「大正 年度購入(寄贈)」(年度は未記入で空白のまま)とあるので、おそらく大正年間に高等女学校にもたらされた。なお、「書画部 NO第二号・・・」は千葉胤明の手になる「明治天皇御製、昭憲皇太后御歌」である。

当時は二条基弘公爵(公侯伯子男とある爵位の最高位、主に摂関家が許された)という極めて高貴な身分の方に校歌を揮毫していただいたということで「明治天皇御製、昭憲皇太后御歌」とともに特別の価値を持つ物として扱われていた。この書が高等女学校にもたらされた経緯は不明である。落款は「二条基弘書」とあり、陰刻は「基弘之章」、陽刻は「長?」。   創立120周年記念美術展(2022.5.24~29)於:豊橋市美術博物館出品。

作者について

二条 基弘(にじょう もとひろ)  安政6年(1859)~昭和3年(1928)

二条家(にじょうけ)は、五摂家のひとつで日本の華族。宮中顧問官、正二位勲二等公爵となる。九条尚忠の八男で、従兄・二条斉敬の養子となる。1890年9月から1920年1月まで貴族院議員を務める。斉敬の実子である二条正麿男爵は義弟。公爵の地位から北海道開拓に関った北海道協会会頭をつとめ、明治10年代に設立された写真協会では侯爵徳川篤敬会長のもと副会長に就任する。1902年には菅原道真の威徳を称えた「菅原道真千年祭」が挙行されるが、祭を取仕切った北野会会長でもある。基弘は歌や書に優れていたという。