
制作年
制作年不明 P10号 410×610 キャンバス 油彩 額装
1991年寄贈
作品について
本作品は長らく旧本館校長室に飾られていたという。鈴木睦美氏の「校内美術品めぐり(6)」(1968年)によれば、『作品は10号P型、デッサンのきいた上品な作品である。色を押さえた中に美しい色彩が細かい神経で扱われ、テーブルの線をやや傾けた構図、洋なしをきみどり黄土色、やや濃いきみどりと全体の調和を保ちながら、リズムがあり、更に全体の動きを巧みに構成させる点、油絵の正統派である。ともすると、こうした静物画は表面的美しさに流れがちであるが、どっしりして、「内なる美」を感じさせる。テーブルは、古い美術教室の机が使われているが、先生の長い本校の生活が親しく感じられる。先生のお若い頃と言えば、支那事変、大東亜戦(太平洋戦)で、軍国主義はなやかな頃であった。絵の具も配給制で、従軍画家のみが脚光を浴びた時代である。…中略…しかし、その頃に描かれたと思われるこの作品の中には先生の本当の平和な、つつましやかな市民感情と人間愛を感ずるのである。ピカソが戦中独りアトリエでなすやレモンなどの静物を描いたのがあるが、共通のものを感ずる。』とある。
また、本作品以外に杉浦氏の「大池風景109」という作品があったというが、現在は所在不明で杉浦氏の作品は「洋なしの静物」のみである。
創立90周年記念式典行事「ひがしギャラリー」(1991.10.6~12)於:本校会議室(旧本館2階)出品。 創立120周年記念美術展(2022.5.24~29)於:豊橋市美術博物館出品。版(昭六二)
豊橋市立松山小学校長
作者について
杉浦 俊雄(すぎうら としお)旧職員 昭和6年~23年二中、23年~33年東 在職
1900年東加茂郡下山村に生まれる。1919年岡崎師範本科二部卒、東京外語ロシア語科・東京美術学校(現東京芸術大学)油絵科に学ぶ。1930年国府高女、31年豊橋二中で教鞭をとり、その後、戦時中に一時陸軍幼年学校教官を経て敗戦直後、再び豊橋二中に復職し、48年から豊橋東高校勤務、58年7月に本校を退職した。東京美術学校の同級生、牛島憲之、荻須高徳、山口長男、小磯良平らと上杜会を結成。山口長男とは美大時代の親友であった縁で、視聴覚室の「かたち」200号が寄贈され、図書館の庭園の設計が依頼された。また、本校の「ゲンノショウコ」の校章のデザインも杉浦氏による。