今年も東高校伝統のファイヤーストームが9月25日体育大会終了後実施されました。

ファイヤーストームは10月6日(月)6時25分頃から3分程度、TBSテレビ(CBCテレビ)「THE TIM E」の「全国学生ニュース」で放送されます。

「ストーム」とは

 「ストーム」は「ファイアー・ストーム」とも呼ばれ、焚き火の周りで歌ったり踊ったりしてさわぐことで、かつて旧制高等学校のエリート達に一種特権的に世間から認められた男だけの「バンカラ」な行事でした。戦後の学制改革以後、極一部を除いて全国的にほぼ消滅したと考えられます。
 なお、旧制豊橋二中で実施されていたという記録はありません。

東高校「ストーム」の起源は

 『創立100周年記念アルバム「世紀をこえて」』に、「ストーム」は高女・二中統合翌年の昭和24(1949)年10月の東高校第2回運動会後に、すでに行われていたとの記載があります。しかし学校公認の行事ではなく、数十名の有志による私的なものだったようです。学校公認の行事になったのは昭和27年(1952)、翌昭和28年からは学校行事として行われるようになりました。

「ストーム」の生みの親

  「ストーム」の生みの親といわれるのが、当時国語の教師であった井澤純先生(1925~1996)です。井澤先生は東京の小石川に生まれ、東京高等学校(現東大教養学部)を経て東京帝国大学文学部を卒業され、旧制豊橋二中、戦後は豊橋東高校などの教員を経て文部省事務官・技官を歴任されました。井澤先生は東京高等学校でファイアーストームを経験しており、元来陽気な性格で宴席では学生時代のの歌と踊りでしばしば盛り上がったようで、男子生徒達に自然と伝授されたようです。
 現在の「ストーム」で歌い継がれているのは6曲ですが、その中で「東校おどり」の「ふ~け~よ、み~かわの」は東京高等学校で歌われていた「吹けよ秩父の~」をそのまま「吹けよ三河の~」に置き換えたものだと考えられます。
 また「デカンショ節」は、学生歌として様々な歌詞が創作され、かつて全国的に広く歌われましたが、本歌は兵庫県篠山市(ささやまし)を中心に、盆踊り唄として歌われる民謡が起源です。学生歌として普及した経緯を持つことから、かけ声の「デカンショ」は、大哲学者「デカルト」「カント」「ショーペンハウエル」の略であるという、よく知られた説があります。

女子生徒見学と一般公開

 昭和から平成の初め頃までは、「ストーム」は女人禁制で、女子は観ることは許されませんでした。体育大会終了後、マスコット(各クラスの大規模な応援物)の解体・片付けが終了すると、女子生徒は全員下校、帰宅を徹底して指導されていました。
 初めて女子のストーム見学が許可されたのは平成9(1997)年からで、第13代芳賀利行校長(平成8(1996)年4月~同10(98)年3月)の時代からです。また同時にストームを一般公開し、最後に花火を打ち上げたのもこの年からです。当時文化祭実行委員の男子生徒(後に生徒会長)の発案で、関屋町の方々の全面的な協力を得て手筒煙火とスターマインをグランドで打ち上げました。感動のフィナーレでした。大々的に校庭で花火を打ち上げたのは、近隣の学校では東高校が最初でしょう。

「ストーム」とカルピス

 女子生徒の見学が許可される以前から、一部の女子はストームが終わるまで校外で待っていて、自分の用意したプレゼントと、お目当ての男子がストームで使用した鉢巻きを交換していたそうで、そのプレゼントがいつの間にかカルピスに特化されたといわれています。
 この「カルピス」ですが、もうずいぶん長く継承されいて、テレビをはじめ各方面で「ストーム」とともに紹介され有名になりました。ここに20年程前のものですが、「カルピス」に関する秀逸な文があるので紹介します。(平成17(2005)年度 東32回生卒業25周年事業記念誌より)

『さて、いよいよカルピスのお話です。だれがいつ始めたかは定かではありませんが、ストーム終了後に女子は好きな男子にカルピスを渡し、両思いならば男子はその女子に自分のしていた鉢巻きを渡す、という習慣ができたようです。さらには部活のマネージャーが部員に配ったり、仲のよい友達に渡したり、といういわゆる「義理カルピス」まで広まり、今に至っています。まさにバレンタインデー。ザ・男の祭はこのような華やかな一面も持つようになったのですね。
ちなみに聞くところによると、この日に向けて東高校の女子がカルピスを大量購入するため、近隣のお店のほとんどで売り切れてしまうそうです。出遅れてどこで買えばいいのか途方に暮れている女子がいるとかいないとか。
また、諸説あるようですが、本命は缶、義理はペットボトル、というような形状による区別もあるとのこと、カルピスソーダは炭酸だから振らないで=フラないで!ということで本命用、などという話も聞きました。なんと奥深い!カルピスさんは東高生のために特別なパッケージを売り出したらいいのではないかとすら思います。
という微笑ましくも羨ましい、現在のファイアーストームのお話でした。
そもそも、カルピス=青春みたいなイメージがありますが、この習わしはまさに直結。
ここを通った東高生は大人になってカルピスのCMを目にした時、カルピス酎ハイを飲んだ時、などなど様々な局面で高校時代を思い出すことでしょう。   
あー久しぶりにカルピスを飲みたくなった、という方もいらっしゃるのでは?』

「ストーム」は東高校の財産

  「ストーム」は我が母校が75年間、近年の「コロナ禍」という最大の危機を見事に乗り越え、連綿と受け継ぎ紡いできたまさに無形の文化財であり、豊橋東高校の貴重な財産です。
そもそもこの地域における「ストーム」の嚆矢は我が東高校で、それが東三の他校へ広まり、やがて県内へ広がっていったと考えられます。そして、最初に始めた我が校の「ストーム」こそが本来の歌・踊り・早駆け・スクラムなどの「かたち」を守り、継承しています。